のぶ子、生き生きする

抗がん剤治療スタートしてから約1週間、
8月末にのぶ子の病院にお見舞いに行った。

どんな様子だろうか。
薬が効いてるだろうか。
弱ってないだろうか。

それまで電話では父から母の様子は聞いていた。

「いつも通りや」

よくしゃべり、よく食べるってことだ。

入院時、薬の効きが悪いという先生の言葉。
腫瘍は小さくなっただろうか。
食べることで元気百倍だといいんだけど。


病院への道のりは遠いようで近くに感じた。
時間的には前の病院よりも早く着くのは当たり前なんだけど。

電車に揺られながら目をつぶって頭の中はいろいろ思考してた。
人間の思考ってネガティブな方に傾きやすいんだな。
勝手にネガティブなストーリーの映画が頭の中で進行していくと
時間はあっという間に過ぎてった感覚。


行く度にそう思う。
もっと自分にとってステキなストーリーであればいいのにと。
母の今後のことでいろいろ考えるストーリーなんかでなく。

コロナウイルスの関係で面会はできないことになってて、
でも、退院は9月5日予定以外のことは知らされてない。
勝手に想像してても仕方ないので、先生に確認してもらうように伝言して帰った。


週明けに連絡があって、9月8日に家族に説明をする場を持つということでまた病院に行ってきた。

まずは母のこれからをどうするかってコトを考えなくてはいけないから。

治療を続けるのか、やめて施設に入れるのか。
治療をするなら家に帰るか家に準じた介護ができる住まいを探さないといけない。

父のことを考えると、家に帰ってこられるのはかなり負担が大きい。
だけど、母が帰りたがってるのと、治療を続けると決めたら帰るってことにしなくちゃいけない。

家族としてはホントに悩むところだったけど、
薬が少し効いてるのか腫瘤の表面の張りがゆるんだとのことで、
このまま続けてやりたいと思ったし、
家に帰れるのは最後のチャンスだと言われたのもあって「帰る」ってことに決めた。

父は、母が帰ってきたら元の通りに動けると思い込んでて、
何度説明しても、「動いてもらわな困る」と言う。

実は、腫瘤ができてる辺りの脚の骨もがん細胞のせいで弱くなってるらしく、
立ち上がることも本来禁止されるべきことなのだそう。

ただ、トイレだけは自分でしたがるので、
それだけという限定で動いてもいいとお許しが出ている。

のぶ子は、家に帰ったら動き回りたいと言う。
早く元気になりたい。歩きたいって。

歩いたらいけないんだよ。
家に帰っても、ベッドに横付けしたトイレに移動するぐらい。

後は、車椅子を家の中で使って、ダイニングテーブルまで行ってご飯を食べるってことかな。

リビングダインイングからは移動できない。
だから介護の手を入れないと家には帰れないよ、と整形外科の先生から説得してもらった。

全然納得してない顔ののぶ子。

先生の言葉に、笑ってごまかそうとしてるのがありありとわかったので、
ツッコんでやったら、
「だって、家に帰ったら自分でなんでもするし、だれかにしてもらいたくないし、
よそ(介護施設)になんて行きたくない!」と言い出す始末。

家に帰りたい。人の言うことは聞きたくないってこと。
自分で何でもできなくなってるってことが理解できない。


また後日、ケアマネさんと地域相談員さんと家族が集まって
退院前の家での行動や準備について再度の打ち合わせをしたときも、

「お風呂はお父さんに手伝ってもらって入るから介護の人こんといて!」
と相変わらず。

けれど、実家の風呂場までの動線には段差の嵐。

浴槽にまでたどり着くほどの長距離は歩いてはいけない。
お風呂の段差をまたげるほど脚も上がらない。

訪問看護の方にお風呂をお願いするにしても、
あの風呂じゃ安全には入れられないとの判断が下された。

デイサービスを利用してお風呂に入れてもらうって提案に対し、
のぶ子は、「どこまで行くのよ!そんな遠いところまで行かんでも家にお風呂があるでしょ!」
と怒り出す。


トイレも立ち上がりはなんとかできて、ズボンの上げ下ろしは助けが必要だと言われても、
「自分でパンツぐらい下ろせるから1人でできる」
とのこと。

脚に負荷がかかるから絶対してはならないことの1つ。

普段の日中のトイレ事情は父が頼りになるってことだ。



去年の12月。父が白内障で病院にかかりだして、
そのころ更新できずに免停になってたとき、
かなりストレスがたまってる様子が父に見られた。

眼科に連れて行って、診察が終わるまでかなり待たされて帰ろうとしたときも、
「まだ帰ってこないの?」と何度ものぶ子から電話がかかってきて父は帰りたくなくなったのか、

私と妹に、一緒に珈琲飲みに行こうと言いだした。

こちらも辟易するぐらい何度もかかってくる電話に、
最後には温厚な父が怒り出す始末。

家に帰ると、母には「あれしろ」「これしろ」って言われる。
トイレのお世話もしてたし。
しんどかっただろう。

それを見てるこっちもしんどかった。
実家に行ってるときは私が代わりにすることもあったけど、
さすがに毎日はいややなぁって思ったほどだったから。

それなのに、のぶ子はエラそうに父に命令する。ありがとうの感謝もない。

そりゃあ、ストレスもたまるだろうさ。


今回退院したら、きっとそうなるんだろうな。
いや、以前よりもっと動けないから、激しく癇癪をおこすだろう。
まあ、その方が母らしいんだけど。

生き生きと人に命令し、癇癪を起こし、自分の我を通す。
のぶ子の人生そのものである。




退院前打ち合わせのとき見た母の腫瘍は、大きくなってるような気がした。

3日前に見たときは確かに腫瘤の張りがゆるんで赤みも消えてきて、
花のような黄色い脂肪の塊は見えなくなってた。
色白の桃のようだった。

ああ、効いてる。これから少しずつ張りがおさまってくれる。
そう私は思ってた。

だけど、たった3日でまた赤黒く様変わりし、
前以上に腫瘤の表面に黄色の脂肪がボコっと盛り上がってた。
横から表面のいびつな盛り上がりが見てもわかるほど。

ふくらはぎ全体がパンパンになってて
ズボンをめくる時も前とは違うキツさを感じた。

正直なところ、薬の効きが止まったかもと私は思った。
私の頭がすっと冷えて落ち着く感じがした。

進んでいく方向が見えたような気がしたからか。



この自分勝手で生きてる母がそう簡単に死ぬとは思えない。
どう見ても死にそうな顔をしてない。

やりたいことをこれからやっていこうとする子どものように、
「私の邪魔しないでよ!」って感じで息も荒くベッドに腰掛けてる。



母は帰る気満々だし、ケアマネさんたちは母のために一生懸命に考えてくださってるようだし、
父はただ黙って見守ってるだけだし。
その中で、私だけが冷静に、冷えていく。



退院の日から2日間、私は見守りで家に帰ることになっている。

きっとまたココロが折れそうになるだろうけど、
曲がりなりにも母親だから。

父のために、母のことを看る。

とにかく、生きようと思ってる人だから、
それが父にとっての救い。

母の味方はできないけど、
父の強い味方ではいたい。

おそらくそれは、妹も一緒。

生き生きとするのぶ子を見られるのはあとどれくらいか。

寿命1年以内と言われても、それ以上生きてきた人だから、
しぶとく生き続ける可能性は大かな。

ま、それはそれでよしとしよう。
だれになんと言われようと、それでいいんだ。

だって、家族のことなんだもの。


あとは、このブログが続くようにと祈るだけだ。





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