のぶ子、首は元気です

のぶ子は、今月17日に大腿骨の手術をした。

また、手術した。
また、大腿骨を。
大腿骨の付け根。
今回は右。


家族誰もが、「また?」と言う。
本人は慣れっこの骨折。

手術日には行けなかったので父から様子を聞いた。

「手術時間は2時間て聞いてるねんけど、出てこない」
とメールが来てた。

まあ、多少は長引くことがあるし、私の時もそうだったからそれは気にしてなかった。

「手術は予定通り2時間やったらしいねんけど、輸血を1時間ぐらいしてたらしい」

入院時に血液検査したとき、貧血があるというのと、
前に骨折したときに入れてた金属を取り出すときに出血することがあるから。

だから、輸血する可能性は大だと聞いてたから、なるほどと思った。


手術が終わって病室に戻されたとき、
酸素マスクやら点滴やらといろんなものに繋がれてたと父が言ってた。

私が手術終わったときは、脱力感とカラダが動かないなんとも言えない病人的な感覚で
天井を見上げてボーッとしてた。

私は内臓の手術だったからか、お腹開けられて力が出ないって感じだった。


母はというと、マスクしたままなんかずっとしゃべってたらしい。

普段は同室の人にもうるさい!と思われるぐらいの大きな声でおしゃべりする人なのに、
「なに言ってんのか聞こえんかった」
と父が言ったほどだから、よっぽど声は小さかったんだろう。


でも、ずっとブツブツしゃべってたって。
お母さんらしいというか、なんというか。


手術が済んだ週末の金曜日に私が見舞いに行ったときは、
もうすっかり元気そうな顔をしてた。

点滴がまださしたままだったけど、おしゃべりに余念がない感じ。

着圧くつしたはかされて、圧縮のマッサージ器を付けられてた。
プシューっていうやつ。

エコノミークラス症候群を防ぐためのものだね。

リズミカルなプシューって音にかぶせるようにのぶ子のおしゃべりの声が響く。

しゃべりたくて仕方ないらしく、
興奮してマスクを外し出す。

お母さん、マスクしとかなあかん。
と言っても、

「しゃべってたら苦しいやん」
といったんマスクするフリをしつつまた外す。

父は黙ってベッドの横に座ってるけど、
母はずっとしゃべってる。
4人部屋なのに気を遣う気はないらしい。

その日は手術して2日目ってこともあったから
こっちが気を遣って短時間で帰ることにした。

翌日土曜日昼からお見舞いに行ったら、
点滴が外されてて、

「もう治ったから帰っていいよね」
と言う。

なんでやねん!
尿の管は入れられたまま排尿してるやん。
手術したばっかりやのに家でどうやって生活するん?

その答えが、
「あんた、ずーっと居ってくれたらええねん」
ときた。

手術前に言われてたこと。
2ヶ月は治るまでにかかる。
高齢だからもっと。
寝たきりにならないよう、せめて車椅子生活ができるまで回復させたい。


手術日からまだ、数日ですぜ。
治ってないよね。

動くのは上半身。特に、首から上。

とにかく口がよく動く。

入院手続きのヒアリングで、
「耳は聞こえてますか?」
と聞かれたとき、父と目を合わせながら、

「地獄耳です」
と答えたぐらい口も耳も機能は快調なのだ。


そんな簡単に帰ってきてもらったら、
お父さんの負担が大きすぎて
父までもが入院することになってしまう。

入院した日に、座布団の上に母のお尻を乗せて玄関まで引っ張っていった私が
今むちゃくちゃ腰が痛い。

要介護1の父も杖をつきながら途中まで頑張ってたらしいけど、痛みでヨレヨレになってた。

家族全員を病院送りにしようとしてるのかと思うぐらいのマイペース。

のぶ子本人としては、なんとか動こうとしてたらしいから
その努力?は評価すべきことなのかなとも思う。

見舞いに行ったとき、病院で知り合った(らしい)方が声をかけてくださったのだが、
のぶ子は「きさくで」「話し好き」ですねってこと。

そうなのだ。のぶ子は最初は、というか、知らない人には上から親切なのだ。

親切の押し売りぐらい話しかけるので、
高齢な方には喜ばれる。若い人には辟易される。


のぶ子のいいところなんだな。きっと。

のぶ子を知っていくと、その恐ろしさに逃げ出したくなるのだが、
最初はだれも分からない。

おもしろいぐらいココロがこもらない「ありがとう」「お世話様」


私はのぶ子の子どもに生まれてきて、人のココロの痛みを知った。

だれかに認めてもらうんじゃなくて、自分自身を愛し認めてあげることが大事ってことを知った。

「お母さん、私のこともっとほめて!私を大事にして!」
子どものころの叫びは届かず、ずっと自分がダメな人間だと思って暮らしてきた。

結婚しても旦那さんに愛されてないと思い込んでいた。

母にも旦那さんにも愛されてるという証拠探しをしてて苦しかった。

今は自分自身のことが大事に思えるし、他のだれがどう言おうが
私が心地いいと思うことが第一だと思える。

(もちろん、倫理的におかしいことはしない)
(のぶ子のようなわがままなこともしない)

欠点もふくめて私ってすばらしい!って思えるようになった。

だから、のぶ子の生き方を見てて、
のぶ子自身が「帰りたい」
「帰ったら娘にいろいろ面倒見させて自分はのんびりソファで好きなものを食べて暮らす」
という自分の望みに正直なところは、ある意味見習わないといけないところかなと思うのだ。


私が生まれてきた意味は、人の目を気にせず自由に振る舞いなさいってことなのか・・・?

いや、そこはピンとこない。

ただ、私を大事にするのと同時に、人を癒やすことを広げていくことかなとなんとなく思う。


私がのぶ子の年齢になるまではまだまだ先。
それまでに、私自身のココロがご機嫌でいられる暮らしを積み重ねていきたい。

恐怖や不快感、罪悪感を手放して、
ああ、豊かでご機嫌さんでニコニコできてしあわせだなぁ♪って思えるように、
のぶ子に振り回されることなく前に進んでいく。

私の生き方は自分自身で決められるものね。

何歳になっても「今」スタートすれば遅いことはないのだから。





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