のぶ子、お弁当を容赦せず

のぶ子はおおざっぱだ。

詳細に、きめ細やかに、なんてできない。

家事の中では料理は得意な方だといえ、
そして、料理もおおざっぱなのだ。

味付けは慣れてきたら適当なのは分かる。

私も適当に味付けする。
「いつもの量」ってもんが分かるからだ。

それはいいとして、のぶ子の適当さは半端ない。


私が小学生のときは、まだ給食ではなかった。

私の卒業と同時に、学校内に給食センターができて、
それ以降は給食が始まった。

だから、私は給食は食べたことがないのだ。
正確には、義務教育ではだが。

大学生のとき、実習先の幼稚園で給食を食べた。
初めての給食に感動しつつ、
残さずに食べなきゃと妙にかしこまったことを思い出す。

さて、小学生の間は母がお弁当を準備してくれていたが、
中学生に上がったとき私は自分でお弁当を詰めて行っていた。


昔はアルミの四角のお弁当箱が主流だった。

蓋にお花の柄が入ってるだけのシンプルなものだったが、
花の柄が一部削り取られるぐらいには何年も使っていた。

ところがこのお弁当箱。
上下がわかりにくい。

のぶ子はいつも、
お弁当に白いご飯をぎゅぎゅぎゅっと詰める。

私は小柄で細かったので、ちょっとでも大きくなれるようにとの親心だったみたいだ。

ありがたいことだ。

ただし、お弁当箱にちゃんとおさめてくれていたらの話だ。

おおざっぱなのぶ子。お弁当箱の蓋にご飯を詰める。

おかずもぎゅーぎゅーに詰めて、
「蓋がないやん!」と大騒ぎ。

見つけたときは、蓋はすでにご飯とおかずであふれそう。

仕方ないからと、お弁当箱の本来お弁当を入れる方を
蓋代わりにする。

するとどうなると思う?

ご飯がスキマからむぎゅーっと出てくる。
四角く蓋(ホントは底)の外側に張り付く。

肉じゃがのおじゃががむぎゅーっとはみ出してくる。

お弁当箱をナフキンでつつむのだが、
いざ食べるとき開いたら、ご飯がナフキンについていて
それを見てちょっと悲しくなる。

この上下逆さま事件は何度かあった。


それ以外に、白ご飯の上にイチゴを置く事件もあった。
蓋を開けたら、イチゴが温かいご飯の上で煮えて、ジュクジュクになってた。

イチゴのピンクの果汁がご飯に染みて、
ホンマ気持ち悪かった。

春はよくあった。ご飯がピンクなこと。

夏場は肉じゃがから糸を引く事件があった。

冷蔵庫に入れてた肉じゃがをそのまま熱いご飯とともにお弁当カップに入れる。

夏場の暑さに加えて、冷えてたものが急に温められたからか傷む。
糸を引く。臭いが大変。

涙をこらえながら残さずに食べきったのは何度あったことか。
残したら怒られる。もったいない。
そんな思いで食べきった。

中学生に上がってからは自分でおかずやご飯を詰めていたから、
イチゴは別の容器にいれたり、蓋がわかりやすいお弁当箱に変えたりと気をつけた。

私もおおざっぱな方とはいえ、自らの食べるものは守らなければ。

のぶ子は容赦がない。

夏の暑さでおかずか腐るってことは考えない。
朝の時点でお弁当が完成したのなら、それでカンペキ!

今その時を生きている。その瞬間がなんとか過ぎ去ればいいってことだ。

「今」を生きるって大事なこと。
今この瞬間は、たった今から過去になっていく。

そういう点でのぶ子は、今を精一杯に生きている人にとって鏡のような人だ。
いいように言えば、たぶん。

マイペースで人を巻き込む竜巻のようでもある。
かなり正直に言ってる。

人に対して容赦することなく、
人に厳しく自分に甘い。

そういう人ほどしあわせな人生を送れると思う。

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そういえば、私はお弁当のおかずのスキマに
アルファベットチョコレートを忍ばせていた。

学校にお菓子を持って行くなんてアカンやろと思いつつ、
イチゴと同じさ、デザートなんだからと自らに言い聞かせ、
何度か入れていってた。

たまにご飯の暑さで変形していたけど、
秘密の甘さは極上だったな。

ナッツをチョココーティングしたチョコのお菓子なら、
おなかも膨れそう。





カップに入れて持って行ってもおかずみたいに見えそうだな。

午後の勉強がはかどりそうだ。






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