のぶ子、家出する

のぶ子が家出した。

家出というにはとても短い時間。



私が小学生のときだ。


5年生ぐらいのときか。

覚えているということはきっと、
そんなに幼い時じゃなかったはずだ。


短い時間とはいえ、

「お母さんがいなくなった」

ことが少し怖かった。



我が家がざわついた。


まあそれも一瞬のこと。

きっとあそこにいるだろうってことは父も私もピンときた。

妹は私より3つ下なので、
そのときはまだ幼くて分からなかったかもしれない。


でも、すぐに発見したから怖くはなかったと思う。





原因は分かってた。



父に叱られたからだ。


父に暴言を吐いた。

なんと言ってたかは記憶にはないが、
えらそうな言い方で、
父を小馬鹿にするような言い草だった。



子どもながら、まあすごくえらそうだと思った。

私らがそんな言い方したら手が出るぐらいなのに、
自分はいいのかと思ったような気がする。




温厚な父が怒った。


「出ていけ!!!」


母はちょっとシュンとしてたか、
しおらしくツッカケ履いて家を出た。


2時間ぐらいか、姿を見せなかった。


あれ?ホンマに出ていったんや。
帰ってこない。




最初父に、「お母さん何処行ったんやろ」と聞いたとき、
「ほっとけ!」とかなりご立腹だったけど、
しばらくして同じこと聞いたら、
「探しに行こか」
ってことになった。



きっとあそこに居るで。


家から歩いて10分ぐらいのところにコープさんがある。


当時、町内で大きなスーパーといえばコープだった。

建物の外にたこ焼き屋さんがあって、
その横には駐車場とベンチがあった。


きっとそこにいるはずや。
そして、たこ焼き食べてるで、きっと。



車で迎えに行ったら案の定そこのベンチに座ってたこ焼き食べてた。


わかりやすい。


そして、反省の色もなく、しれっと座ってた。


やるな、のぶ子。


怒ってた父も気が抜けるほどの様子だったのを覚えている。



さすがのぶ子。


家出したのはそれ一回きりだった。
私が知っている限りは。



子どもには厳しく、自分には甘い。


厳しくされた分、私は大人になっても
「出来ない自分」
の部分ばかり見て追い打ちをかけてきた。


愛されてないと思っていたし、
結婚しても愛されてない自分でいようとした。



のぶ子の記録を書くようになって、
子どもの頃に受けた心の傷や、
記憶の中にいる母との関係に少しずつだが変化が出てきた。


愛されたいと思っているだけで空回りしている感覚があったけれども、
今日お風呂の中である言葉をつぶやいたことで
かさぶたがはがれるような、泣きたくなるような気持ちになった。



「私は私を愛しています」


たったこれだけの言葉をじっくり自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


涙が出る寸前の目の奥がギュッとなる感覚。
分かるだろうか。



きっとホントは母からも愛されてたんだろう。
ちっとも伝わらなかったけど。



「私は私を愛しています」

すごいエネルギーが螺旋を描いて上がっていく。



私の中にある渇望感が家出したのだ。


自分を満たしていくために、
しばらくのぶ子の思い出をよみがえらそうと思う。


まだ6日目なのにおもしろい変化が始まったな。


今後無表情ののぶ子が、
思い出の中でいろんな表情になっていくだろう。


そのときはまたきっと、
私自身も新たな自分に出会えるんじゃなかろうか。



玉ねぎの皮を1枚1枚めくっていくように、
もとのつやつやの私が現れるまで書き続けよう。


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家出するときは、
こんなおしゃれで美味しそうなえびせん持ってたい。





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のぶ子なら言う。
「お母さんにくれるの?」と。

そして、買わせる。

さすがや。










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